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  基礎看護学 技術演習「全身清拭」  


たしか1年生?
基礎看護の技術演習で、学校で全身清拭(体ふき)の演習です。



「ま、マジで?」
思わず呟いた声は、思ったより大きく響いた。


今綱吉は、学校の実習室にあるベッドにまな板の上の鯉のように寝転がっている。
今日の技術演習は全身清拭。全身をその名の通り拭き、清める演習である。
大抵は、ベッドの上で安静にしなければならない必要のある患者さんの身体を拭く(お湯にタオルをつけて絞って、必要ならば石鹸とか使って)という技術の練習である。
簡単に言うと、服を脱がせて寒くないように毛布やタオルなどかけつつ、それでも全身を拭いてまた服を着せるというやつである。

しかしながら綱吉は、手足を実際に拭いてもらって、あと胴体とかは実際に拭かずにシミュレーションぐらいで終わると思っていた。だって時間もかかるだろうし。
けれど実際にはそうではなく、ちゃんと全身拭けとの先生のお達しがあった。
女の子ならば下着の下ぐらいはしなくてもいいかな、的な雰囲気が流れているが、綱吉は問答無用で男なのでむしろ全身拭けといった空気である。
そんなわけで横に居た骸がえらい顔を輝かせたのと同時に、
冒頭の綱吉の「ま、マジで?」が呟かれたというわけだ。



水さしみたいなものや洗面器みたいなものにお湯をくんで、手ごろな大きさのタオルをつけて絞って、せっけん使って拭いて、またお湯でしぼったタオルで拭く。
文にすると簡単だが、初めて行う者がいざやろうとするとなかなか面倒で時間がかかる。
なにせ相手は自分で起き上がって自分で拭いてくれるわけではなく、ただマグロのように寝転がってるだけの人間である。身体をこっちに向けたりあっちに向けたり、腕を持ち上げたりといった動作も全て拭く人間が行う。
される方も、今までに無い接近度で申し訳ないやら気まずいやら、何かと内面が忙しい。
しかし、六道骸に限っては。


「さぁ綱吉君、僕が君の身体を今綺麗にしてあげますからね」
極限まで熱い湯につけて絞ったタオルの温度を確認しながら、骸はものすごい笑顔で寝転がった綱吉の顔を覗き込んだ。
「いや、あの、ウン、そんな、頑張んなくていいよ骸さん」
「いえいえ、そう言わずに」
引き気味に答える綱吉に目を細めて、骸はタオルで綱吉の顔を拭き始めた。
どうして今回もこいつとペア組んでやんなきゃいけないんだろうか。
遠い頭で綱吉は考えるが、よくよく思い返してみれば毎回「じゃあ僕は綱吉君と組みますから」とか「一緒でいいですよね?」とか骸が言っていたことを思い出せるはずである。
だがその結果、「じゃ沢田君は六道君とだよね、男子って少ないし」みたいな感じで勝手にペアにされていることまでは、ちょっと考えられなかった。


戦々恐々と綱吉はベッドの上に寝転がっていたが、
顔を拭き始めた骸の手は意外にやさしかった。
(あ……、気持ちいい)
タオルの温度はちょうどいい。顔がさっぱりする。
この調子でいくなら、案外あっさり終わるんじゃなかろうか。
考えてみたらただ身体拭くだけだもんね。拭いたら終わりじゃん。
…と、持ち前の楽天的思考でやり過ごそうとしていた。


「じゃあ、手のほう拭いていきますね」
「はい」
手首を持たれて、指先を丹念にあついタオルが拭いていく。
綱吉は目を閉じて黙って拭かれていた。
「…………」
(………長い)
長い。拭く時間がいやに長い。
骸はいまだに指先を丹念に拭いている。いつまで拭くつもりだろうか。
不審に思って、薄目を開ける。
「ちょっと骸さ……ウッ、」
綱吉はすぐさま目を閉じた。

な、なぜあんなににやけた顔をしているのか。

な、なぜあんなに綱吉の指の至近距離に顔をつめているのか。

見てはいけないようなものを見てしまったような気がした。
(この人そんなに人の手拭くの好きだったのか……)
友人の意外な性癖を発見してしまったようで、ひどく綱吉は気まずい思いを抱いた。
しかもその対象は今、自分の手である。
…きつい。正直、きつい。


「む むくろさん」
「はい?」
やっと返事が返ってきた。ということはさっきの問いかけは本当に届いてなかったのか。こわすぎる。
「そ そろそろ腕とかも拭いたほうがいいと思うんだけど」
「あぁそうですねぇ、クフフ、君の手を拭くのがあまりに楽しくて」
(あえてソコ触れないようにしてたのにー!!)
臆面もなく何かを解き放つ骸に、心の中で軽く泣きそうになった。
「ねぇ綱吉君、指先って感覚点が集中して敏感であるような気がしませんか?同じ切り傷でも、指先って結構痛いでしょう」
「そうかもしれないけど今あえてその話題を出すことはないよね」
つつつ…、と感触を楽しむように骸が綱吉の指先を、みずからの指先でたどる。
伝わってくる感覚にぞわりとして、一瞬綱吉の息がつまる。
「考えてたんですよ僕、君の指先を傷つけたら君はどんなふうに顔を歪めるんだろうって」
クフフ、と楽しそうに笑う骸に、綱吉は驚愕した。
「ほ、ほんと怖いねあんた!!ビックリしたよ!!」
「なんででしょうね、なんでか僕、君の怯えた顔とかうろたえた顔とか、泣いた顔とかゆがんだ顔とか好きなんですよね」
不穏に顔を笑みに歪めながら、骸は綱吉の指先をからめた自らの爪の先にグッ…、と力をこめた。
指先から鋭さをともなった鈍い痛みがじわじわ伝わって、綱吉は眉を寄せた。
「や…っ、やめてよ骸さん…!」
本当に血を見るかもしれない。あまつさえ、それを石鹸つけた熱い蒸しタオルでごしごしされるかもしれない。
怖さのあまり、綱吉の声が震えた。
すると、かすかに吐息で笑う気配。
唐突に腕を離された。
「あんまり苛めてもかわいそうですからね、ちゃんと気持ちよくしてさしあげますよ」
「"ちゃんと拭いてあげますよ"でいいよ!!」
どうしてこの人はいちいちこういう言い方するかなあ!!と、綱吉は突っ込むのに疲れて仕方ない。
そんな綱吉などまったく構わず、骸はいやに恭しく綱吉の肘を持ち上げて、なで上げるように手の先から肩に向かって拭いていく。
言動こそアレであるが、やろうと思えば手際よくできる奴ではあった。
ただ、どの演習においてもヤケに過程がねっとりしているだけで。
「俺どうせ時間かかるんだからさ、はやく終わらせようね骸さん」
暗に"余計なことしてないでさっさとしてくれ"と言ったわけだが、聞こえないフリでもするかのように骸は綱吉の上にかけてあるタオルを上にあげて、また戻した。
そしてそのまま、足元のほうへ移動する。
「……じゃあ、足拭きますね」
よそよそしい雰囲気で足を持った骸に、綱吉は頭を持ち上げた。
「え、おなかは?」
たしか男の子は胴体とかも拭くはずである。
"ああすみません"とでも言って、また妙な台詞を吐きながら綱吉の腹を拭くかと思った骸は、
「き 君の下着の下に…手を滑り込ませろっていうんですか」
…しかし、すでに赤面していた。
「ぇえええ?!ここで恥ずかしがっちゃうのォオオ?!いまさら顔赤くしないでよ、こっちが逆に恥ずかしいよ!!」
あれだけシモな発言をばんばんかましておいて、どうしてここで赤面するのか心の底からわからない。
「か…ッ、考えてみればいい!服の下から手を滑り込ませるのがどれだけ卑猥かを!!」
「卑猥なのはお前の想像力だよ!!」
クラスメイト同士のただの演習でどうして"卑猥"まで概念が(ある意味)昇華してしまうのかわからない。
「だって背中も拭くんだよ?らちがあかないよ」
「で…臀部が…さらされるわけですか…」
「たのむよ本当に!会話して!」
足を拭き終わった骸は、絞った熱いタオル片手にしばし動きを止めていた。
もしかして本当にためらっているのか。常の(問答無用で物事を進めていく)彼らしくない。
「だ…、大体あれですよ、どうしてこんな明るいあけっぴろげな演習室でこんなことするんですか。普通薄暗い個室でするもんでしょう」
「いや、骸さんの計り知れない想像力で何が展開されてるか知らないけど、こういう演習はこういうところでするもんだから」
「もう今回の演習の自己評価とか適当にマルつけて、あとはウチでやりませんか」
やけに食い下がる骸に、ええー?!と綱吉は声をあげた。
「わざわざ骸さん家でするぐらいならフツーにここで練習しようよ!!その仕切りなおしの意味がわからないよ!」
ぶちぶちと渋りながら骸がタオルを湯につけなおす。冷えたらしい。
さらに湯までぬるくなっていたらしく、新たに熱湯を加えている。
(…タオルが冷めないように律儀にお湯につけなおすぐらいなら、さっさと拭いたらいいのになぁ)
「…わかったよ、じゃあさ、俺が自分でこっそりやるからそのタオル貸してよ骸さん」
何かがひっかかって演習を進められないというのなら、自分で進めてしまうしかない。
綱吉だって、そんなに困ってる様子なのに無理にやらせるのも気が進まない。
そう思い、綱吉は骸に腕を伸ばした。
しかし、骸はタオルを渡すどころかその腕をはしっと握った。
「…だ、 だめです」
…だめ、だめって何が。
「わかりました、そんなに言うなら拭きましょう」
何か重たいものでも決断するような物言いに、"えぇっと"みたいな気分になって綱吉は一瞬言葉が出なかった。
…そんなに無理なこと頼んでる覚えは無いんだけどな…


掛け物を部分的にはいでいって、その下の腹などを拭く。
「薄い肉付きですね、ちゃんと食べてるんですか君」
軽く怒ったような様子でがしがしと胴体を拭いていく。やればできるじゃん、と思うが、ちょっと力が強すぎる気がする。
「食べてるよちゃんと。俺の肉付きのことなんかいいからさ」
どうせ貧弱だよ、とは思うが、あえてそんな自虐的なことは自分で口にしない。
「…でも肌触りはいいですよね君」
「布団か毛布みたいに言わないでよ、別にうれしくないよ」
「別に嬉しがらせようとしてるわけじゃありません。ハイ、背中拭きますから横向かせますよ」
小学生のようなつーんとした返答をしている骸に、綱吉の頬がひきつった。
(…ほんと、あーいえばこー言う…)
さぞかし小さなころは口の減らないガキだったに違いない。
「何だか、いざ拭いてみると案外平気なものですね。小さい子の面倒でも見ているみたいだ」
小さい子の面倒もみたことないだろうに、よく言うよ、と思ったが、あえて口には出さなかった。


横を向かせるために、ちゃっちゃと綱吉の膝をたてて腕をいい位置に置かせて、ごろんと骸側に向かせる。
本当に、こうやって本気を出してくれれば、他の学生の1/3ぐらいのスピードより余裕を持って骸は演習を終えられる。
それが、綱吉にとって一番助かるところだった。あとはたまに、アドバイスをくれるところ。
「なぁ骸さん」
「何ですか」
タオルを絞りなおして身体を向けてきた骸に身体を向けたまま、視線だけタオルのほうに移動させた。
「いっつも思うけど、ほんと手際はいいんだよね」
「何ですかそれ、褒めてるつもりなんですか」
「褒めてるよ。いつもそうやって普通にちゃっちゃってやってくれたらいいのに」
綱吉にしてみれば普段の骸は余計な言動が多すぎる。
骸は再び、横に向いた綱吉に近づいてタオルを広げながらハーとため息をついた。
「そんなサラッと流すなんてつまらないじゃないですか。こうやって常軌を逸したような演習をせっかくするんですから――」
こちらを向いている綱吉の背中を支えながらタオルで拭いていく。
が、唐突に綱吉は体をつきとばされた。
「ぎゃっ?!」
「ちょっ、ちょっと綱吉君!この体勢は危ないです!!」
あ 危ないのはお前だ!何でいきなり突き飛ばすんだよ!」
「体と股間がこんなにも近いのは…しかも綱吉君の体に覆いかぶさるようにして背中を拭くなんて――!あまりにも密着している!」
困ったポイントで再び立ち止まってくれた骸に、綱吉が首を横に振る。
「大丈夫だから!何も変なことないから、ふつうにしようよ!」

「―――チッ」

たのむから!と常識的な対応を求める綱吉に、骸は非常に小さく舌打ちをかました。
「…んっ?何か今舌打ちが聞こえたような気がしたけど」
「何で君はもっと恥ずかしがらないんですか、こんなに僕がどれだけ恥ずかしいか教えてあげているっていうのに。もっと恥らいなさい!!
無茶言うなよ!!その非常識な言動が恥ずかしいよ!」
先ほどから同グループの女の子たちはクスクスキャッキャ笑いながらこの二人を見ているのだ。
自分がどれだけその辱めに耐えてきたか、骸にはわかるまい。
「もういいです、君が拭いてみればいいいんだ!」
べちゃっとタオルを放り投げて、いきなり服を脱ぎだす。
「ほら早くその病衣を脱ぎなさい、脱がしてほしいってんなら脱がしてあげますけどね」
「はぁっ?!ちょっ、ちょっと待ってよー!」
意味のわからない癇癪を起こして勝手に服を脱ぎだした(もはや)変態に、目をむいて綱吉はあわてて自分の服を着た。
時計を見るとずいぶん時間が経っていた。実際に演習に費やしていた時間より、骸が恥ずかしいだの何だの余計な演技(?)をかましていた時間のほうが長かった気がする。


―――今日も、はやく演習を終えられる気がしない。



<続>
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