看護学生パラレル

  基礎看護学 技術演習「全身清拭」2  



「はぁ、ほんとに、とんだ羞恥プレイでしたよ」
「骸さんのひとり羞恥プレイに巻き添えをくった俺の気持ちも、少しでいいから考えてください」
病衣を着て演習用ベッドにもぐりこんだ骸に、綱吉は乾いた笑いを漏らした。
ほんとうに、どの口で羞恥プレイとか言うのだろうか。一番恥ずかしかったのはこちらである。
熱湯にタオルをつけて、しぼる。
(あ…、熱っつ〜!)
手袋をしているとはいえ、相当な熱さだ。しかしながらぬるいタオルを患者さんにあてるわけにはいかない。
湯はどんどん冷めていくので、最初にタオルをつける湯が熱くないとタオル自体もすぐに冷めてしまうのである。
実際、湯の温度は50度を越えている。同じ温度でも、乾いた状態とぬれた状態では熱の伝わる効率が違う。
(10倍だか15倍だかだったっけ…、ほんと濡れてると熱い…!)
けれど、中途半端に濡れたままだと拭かれる相手は熱くてたまったものではない。から、ちゃんと絞らなければ。
くぅうう〜、と顔をゆがめながらがんばってタオルを絞る。
その様子を骸はじっと眺めていた。
口を引き結んで、熱いタオルを必死に絞っている。
…いじましい。
そんなに熱ければ、しばらくタオル自体を冷ましてからまた絞ればよいのに。
そう助言することもできたのだが、骸はその姿を見るためにあえて黙っていた。
「ふぅ、じゃあお顔から拭いていきますね」
ようやっとタオルを絞り終えた(遅い)綱吉が、すでに一仕事終えたみたいな雰囲気でおもむろに骸の顔にタオルをあてがおうとした。
しかしそこで綱吉の動きが止まる。
(…いいんだろうか、骸さんの顔にタオルとかあててがしがし拭いていいんだろうか)
何だか無意味にキレられそうな気がして、綱吉は躊躇した。
「あの…骸さん、顔拭いてもいいんですか」
今更、の質問に骸は目を瞬かせた。
「は?拭けばいいじゃないですか」
「あ、はい、」
あっさり返ってきた言葉に、あ、いいんだ、と思って綱吉は目元からタオルをあてた。
(そういえば素肌にかなり直接触れるような演習って、これが初めてかも)
痛くしないように、やさしく拭いていく。
他人の身体をタオルで拭くなんてほとんど経験がないから、力加減がわからない。
(骸さんが俺のこと拭いたときも、こんな感じだったんだろうか)
目を閉じているとまるで眠っているように静かな雰囲気が流れる。いつもうるさいぐらいのオーラを撒き散らしていたのは、この眼によるところが大きかったのか。
「ね、骸さん、」
「何ですか」と、口だけが静かに開かれる。
「骸さんってさ、そういえば最初のほうあんまりしゃべらない人だったよね。もともと静かな人なの?」
こちらが看護師役割、相手が患者役割であることも忘れて、好奇心のままに綱吉は聞いた。
相手の腕を拭きながら返答を待つ。すると眼を閉じたまま骸は口を開いた。この演習では開けないつもりだろうか。それにしても、さっきとは打って変わって大人しい。
「…そうですね。もともとあまり人と積極的に話すほうではなかったですね。…話す気にならないというか」
意外である。あれだけ普段綱吉の前ではお喋りなのに。
「僕結構地味なんですよ?表立って目立つつもりはない。いろいろ面倒ですからね」
「…ウン、まぁ、骸さんの過去に何があったんだろうとかは敢えて聞かないけどさ、とりあえず地味っていうコメントは無いよね」
片方の腕を拭きながら、ははは、と綱吉は笑った。
「有りですよ。それはそれは大人しいでしょう?」
半笑いのまま、うそつけーと思いながら綱吉は手のひらから肩にむかってタオルを滑らせる。
すると骸が笑いに身体を揺らした。
「…くはっ、だめです、黙っていようと思いましたけど、ちょっと綱吉君ソレ」
「ん??」
小さく笑って身をよじった骸に、拭く手を止めた。
「そんな羽根のような軽さで拭かれると逆にくすぐったいです、もう少し力をこめても大丈夫ですから」
「あっ、ごっ、ごめん、…こう?」
「そうそう。年のいった方だともっと強くしても大丈夫という方もいらっしゃいますからね、力加減は確認しながら拭いたほうがいいかもしれませんね」
「なるほどなぁー…」
綱吉は心の中で軽く感心していた。人ってのは一面だけではないなぁー、と。
最初見たときは「なんか怖い人だな、近寄らんとこう」と思ってとても話しかけられなかったのだが、話してみると案外いろいろ話せる。
話が通じないことも多々あるが、勉強とかで普通に助言はくれるし話しかけると答えてくれる。
それが、中学生のころはよく苛められ、高校生のころはパシリ扱いを受けていた綱吉には不思議だった。
「骸さんってさ、結構ちゃんと話してくれるよね。もっと怖くていろいろ無理な人かと思ってた」
「君、僕のこと一体何だと思ってるんですか…僕はただ普通に話してるだけですよ」
腕を拭いたタオルを、再びいったん絞る。
「うん、でもさ…、俺弱っちいからよく昔苛められたりしてあんまり…なんていうか、まともに応対されたことってなかったから、不思議だなーって」
少々ぎょっとするような過去をさらりと話しながら、タオルを手に巻く。
骸がぴくりと眉を寄せた。
「君の中高の連中が低脳だっただけなんじゃないですか」
くだらない、と短く息を吐く骸に、何か機嫌を悪くするような事でも言ったかと綱吉は内心ひやりとする。
「まぁたしかに君は加虐心をそそるようなオーラを持ってるようには思いますが、相手を尊重しない加虐は色気の欠片も無くてナンセンスですね」
「かぎゃ…??  何???」
よく意味がわからず首をひねりながら綱吉は再び骸のほうに身体を向けた。
「ちなみに僕は一応ちゃんと尊重してるので、そこは忘れないでくださいね」
「?はあ。」
よくわからないままに頷く。言葉の意味をもうちょっと考えようとしたが、面倒だったので綱吉は華麗にスルーすることにした。
「じゃ、おなか拭きますね」
「どうぞ」
骸もだいたい喋って落ち着いたのか、再び口を閉じる。
しかし、掛け物をめくろうとして綱吉はしばし固まった。
(ああー…、おなか、拭くんだ…)
当然この掛け物と病衣ををとったら、腹どころか下着とか太ももとか、普段絶対見えないような部分が晒されるわけで。
し、しかも、それを拭くっていうのか。直に、タオルで。
「どうしたんですか。お湯でも冷めましたか?」
なかなかアクションを起こさない綱吉を不審に思ったのか、骸が目を開ける。
「あ…、いや、あの。  …ごめん骸さん。やっぱこれ、なんか恥ずかしいね」
多少頬を染めて、はは、と照れたようにタオル片手に笑う綱吉に、骸も動きとか心とかが固まった。
「だ…っ、だから言ったでしょうが!恥ずかしいって!!今更恥ずかしがられたら逆にこっちが恥ずかしいですよ!!」
「で でもそれも結構こっちの台詞だった!!」
二人して変にテンパっていたが、そうこうしてるうちにタオルが冷めてきた。
「あ…、もう一回お湯につけなきゃ…」
再度タオルをお湯につけて、絞る。
「…うん、大丈夫、だってたかだかお腹とか足だし、別にパンツの中を洗えって言ってるんじゃないし」
自分に言い聞かせるように綱吉はつぶやいたが、それはしっかり骸の耳にも聞こえていた。
「…でもありますよね、演習で陰部洗浄って絶対そのうち」
「……………」
「……………」

それは言わない約束である。
まだ一年生のこの時分、陰部洗浄がいつ、どういった形式で演習が行われるのかさっぱり謎である。
ま まさか本当に実地?! でもそうじゃなかったらどうやって演習を 局部のモデルとかあるんだろうか、あるならそれはどう使うのだろうか、とか、わからないことは一杯である。
「ま まぁ、とりあえず、お腹拭きますね」
「え ええ」



華奢なほうかと思っていたが、意外にしっかりとしている骸の身体に、嗚呼…、と綱吉は思った。
自分はまだまだ子供な雰囲気の身体だが、こちらはすでに、何かもうちょっと大人なんじゃね?ってかもしかして元からこんな?みたいな雰囲気である。
(いーなー)
でも腹部は腕や足と違ってやわらかい部分だから、やっぱり力加減がわからない。
「ねぇ骸さん、これってまだくすぐったい?どのぐらいがいい?」
おそるおそるお腹を拭きながら、力加減を確認する。
「いえ…、いいですよ、それで」
眠たそうなゆっくりした言葉が返ってきた。
あれ、もしかして本当に丁度いいのかな。
うつぶせに向けて、背中も拭く。
ほめて貰ったような気がして少し嬉しくなって、丹念に背中も拭いた。
それにしたってリアクションが希薄である。
(まさか寝てる?)
顔をこっそり覗き込むが、元から目を閉じているので判別がつかない。
まぁいいか、と思って身体を仰向けに戻し、足にとりかかると、呻くような声が聞こえてきた。
「…結構、最高かもしれません……」
(おお…!)
随分珍しい、素直な骸のほめ言葉に綱吉は目を見開いた。
「ほんと?よかったー!」
不器用な自分でも心地よいケアを提供できるのか、と思い嬉しくなって、骸の足の指から丹念に拭き始める。
「ええ…、君みたいな召使オーラをまとった子が一生懸命僕の世話をするなんて…ちょっと病みつきになりそうですねぇ
はああー?!ちょっとその台詞おかしくない?!
召使オーラって何だよ!!
とんでもない骸の返答に目をむき、一瞬タオルを落としそうになった。
「ああごめんなさい…、つい心地よくて本音が」
悦った表情で口元に手をあてている。
「いつもながらすごい本音を隠し持ってるよね!!」
膝のあたりまで拭いていたが、もうやめようと綱吉は手をとめた。
すると骸は悦った顔のまま、なんと膝をたてはじめる。掛け物に覆われていた太ももが露になった。
「ちょっと綱吉君、もっと奥の中のほうまで拭いてくださいよ」
「いやだよ!」
「君に拒否権なんて無いんですよ、ほら、ほらほら綱吉君」
「いやだいやだ逆セクハラだこんなの!」
「失礼な!いくら恥ずかしいからってそんな言いがかりは無いじゃないですか!ああ…、そうですね、恥ずかしいなら後で僕の家にきて拭いてくれればいいですから」
何でそこまでしなきゃなんないの?!いやだよ骸さんの太ももを拭くためだけに家に行くとか意味わかんないよ!!」
「家でだったら僕も、もうちょっとちゃんと君の身体を拭けるかもしれない」
「そんなリベンジしなくていいから!!てか家で二人で身体拭きあうってのが何かおかしいことに気づいて!」
「ほんとだおかしいですね!」
「遅い!!」

演習ではなく応酬に疲れきって、ぜぇはぁ言いながら綱吉が後片付けをしはじめた。
「ほんとに太もも拭かないんですね……」
心底残念そうにつぶやかれた声も、無視無視とばかりに大きな銀色の洗面器(ベイスン)の中でタオルを洗う。
「綱吉君に身体を拭いてもらうの、すごく気持ちよかったのに…残念ですね…」
ぽちゃぽちゃとひたすらタオルを洗い続ける。お湯が、洗面器をのせているワゴンや床にしいた新聞紙に散る。
「あぁーあ…あくまで応じないつもりですか…いいですよ、君がその気ならこっちもそれなりの手段を取らさせてもらいます。君が嫌がろうがどうしようが、君をウチまで拉致して無理やり股ぐらに身体を引き寄せて今晩拭いてもらうまでです」
「こわいよ!!!骸さんが言うと何かシャレにならないよ!!」
焦った様子ではじめて返答を返した綱吉に、骸はにっこりと笑った。
「じゃあ今拭いてくれますか?」
脱力して、綱吉は肩を落とした。
「…こだわりすぎだろ…、」


まったくもう、何なんだよ、とぶちぶち文句を言いながら、モソモソと骸の太ももを拭いている綱吉に、さらに骸は注文を飛ばした。
「ねぇ綱吉君、いっそのことベッドの上に乗ってみて正面から拭いてくれてもいいですよ」
「よくないよ!!何ソレ?!何の人俺?!そんなことしなくてもちゃんと拭けるから!!」
「…チッ、サービスが薄いですね。僕の理想としては椅子に腰掛ける僕に、君が跪いて僕の股の間に入って拭くっていうのが一番なのに」
何その理想の中の俺の下僕っぷり!!本当に骸さん俺の人格尊重してるの?!」
「してますよ!!だからこうやってちゃんと頼んでるんじゃないですか!」
(おっとォーー…!)
あまりに違う骸の脳内基準に、綱吉は軽くめまいを覚えた。


「はい、終わったよ、骸さん」
さっさと終わらせてしまおうとばかりにアッサリ終わらせた綱吉に、不満そうに骸が口を尖らせた。
「たのしくないですよ綱吉君、もっと色気とか恥じらいをもってじっくり拭いてくれないんですか」
「俺そういう店の人とかじゃないから!まったくもう、どうしてそういう危なげな冗談が多いかなー」
文句をいいながら今度こそ、と片付ける綱吉の背中を見ながら、骸はくすくすと笑った。
「なんか君相手だと楽しくて。無邪気になれるんですよねぇ」
邪気ばっかりのような気もするが、あえて口には出さずに綱吉は後片付けをしていた。
病衣を脱いでもとの服を着た骸が、ベッドから降りて綱吉の後片付けを手伝いだす。
「あと片付けるのはコレだけですか?」
「あ、うん、ありがとう。ごめん、でもそれ…」
「いいですよ」
なにげに片付けるのが一番面倒くさそうで、手をつけていなかったそれをスッと手にとって、骸は片付けはじめた。
「ねぇ綱吉君」
「うん?」
「僕別に冗談とか言う人じゃなかったんですよ、本当に」
なんだか穏やかな顔で物品をまとめたワゴンを流しのほうに押していく。綱吉も手伝うためにそれに続いた。
「そうなんだ」
大学で出会う以前の骸を知らないから、そうなんだ、としかいえない。
「でもそれを言うなら俺もさ、怖い人にこんなに突っ込みいれるなんて人じゃなかったよ」
骸が肩をゆらして笑った。
「怖い人って僕のことですか?君、あんまり僕を怖がってるようには見えないんですけど」
「うーんと…最初のほうは怖かったけどってか今でも時々怖いけど、それだけじゃないっていうか…」
何だかんだ言いながらも、一個人として扱ってくれているような気がする。
骸が洗い終えた物品を拭きながら、言葉を探すように綱吉は窓の向こうの空を見た。
夕暮れも通り過ぎて、空はもう濃度を濃くしつつある、藤色。
そう、何だかんだいって、なんだか話しやすいのだ。何を話しても、この相手ならいいような気分が薄々している。
まだ会って一年も経ってないのに。
(何か、合うのかな)
(実は感性が合うんでしょうかね…廻り合わせとは不思議なものだ)
どこかで何かが合ってるのかもしれない、と、お互い口には出さなかったが。
特に言葉を交わさなくてもスムーズに進む作業にも、ふいに訪れた沈黙にも、居心地の良さを互いが感じていた。



「すごいね、空がすごい紫」
「ですね。夕焼けも鮮やかでしたから、明日も晴れるかもしれません」
一枚の窓ごしに同じ空を見つめながら、二人はしばし手を止めた。
「明日晴れたらさぁ、明後日休みだしどっかご飯食べにいこうよ骸さん」
「フフ、どうせ僕の車で行くんですから天気関係ないじゃないですか」
口元だけで小さく笑みながら骸が最後の洗い物を終えてそのままそれを拭く。手持ち無沙汰になって綱吉はワゴンを拭き始めた。
「ま、まぁそうだけど…」
「何食べましょうね」
「何がいいかなぁ〜…、」
どうでもいい会話をしながら、ワゴンを拭く。
今この瞬間に心地よさを感じながら、お互い他愛も無い会話を続けた。


慌しかったけれど、
今日も、宵が綺麗に更けていく。




<終>



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