ゆりむくつな

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  貴女(4)  




悩もうが待とうが気にしようが、
幸せだろうが辛かろうが、
月日は過ぎていく。




何年かしたら戻ってくると思っていた。けれどいまだに彼女は帰国どころか、存在の気配すらなかった。
大学を卒業して、ツナは働きながら恋人と同棲生活を続けていた。
最初のうちはうまくいっていた。ように思う。
けれどやはりぶつかり合うところが沢山出てくる。
幾度も衝突してお互い疲れて、最後のほうは顔すらまともに合わせなかった。
彼氏のことを考える時間が少なくなるのに反比例して、行方不明の骸のことを考える時間が増えていった。
彼氏と一緒にいるときに、最初は目を背けていた感じる物足りなさや違和感が、時間がたつにつれてはっきりしてきたのもある。
おかしな話だが、”骸さんだったら”と置き換えて考えてしまうことも少なくなかった。


「もう、無理に一緒に居なくてもいいかもね」
別れは疲弊の後に、静かに訪れた。
(せめて仕事をやめる前に、別れればよかったな…馬鹿だなぁ)
結婚するつもりでいたから仕事もやめた。あとにひけなかった。
…今となっては、何のための同棲だったんだか。



(一緒に、住む……)

そういえば、いつだったか話をしたことがあった。
『将来ツナ君がどこかで働くとして、僕が家で料理を作って家事もして『おかえりなさい』ってお迎えするとか楽しそうじゃないですか?』
『休日は一緒に買い物です』

(楽しそうだな)
ふ、とツナは表情を緩ませた。
(今どうしてるんだろう)
もう自分のことなんか忘れてしまってるだろうか。

結局骸からの連絡など今まで一度も無かった。
誰に聞いても依然として具体的にどこに住んでいるか不明で、チェロを弾いてはいるのだろうけれどどこでどうやって活動しているのか判らない。
海外から来るオーケストラのコンサートが開催されるという情報を得ては、演奏者を確認したり聴きに行ったりして地味に彼女を探していたが、
見つかったことはない。


(もうコレ、趣味みたいなもんになっちゃったな)
かつてそれほどクラシックなど聴かなかったのに。骸を探しているうちにクラシック好きみたいな人になってしまった。
(ついつい聴いちゃうんだよね)
今日だってつけている番組は国営の局が流すクラシック番組だ。ロシアのとある交響楽団の演奏のようだった。
(ロシアか…)
ドイツに行ったという彼女がいる線は限りなく薄いだろうが、それでも。
チェロ奏者にばかり目がいくが、そんなにチェロ奏者を長く映してはくれない。
クラリネット奏者の指の動きを眺めながら、ツナは膝を抱えた。
(もし骸さんが恋人だったら、こんなふうに別れたりはしなかったのかなぁ)
すごく仲が良かったことを覚えている。あんなに何度も、くだらない理由で衝突などしなかったし、すぐに仲直りだってしてた。
気持ちがあとをひかなかった。
(だって骸さん、結局許すんだもの)
全てを受け入れるような目でツナを見るから。

ほとんどいつも一緒に居た。今考えると、驚くほど親密度の高い人間だった。
何かと世話をやかれた。ご飯をもらったり、勉強を教えてもらったり、…2人でいる空間が一日の大部分を占めていたことといったら。
あの特別な心理的閉鎖空間が、かつては特に何も思わなかったけれど。
(ず、随分と、べったりだったな…)
まるで前の恋人なんかよりよっぽどベタベタである。
(…あれっ)
そう思うと、かぁ、と頬があつくなってきた。
(何だそれ、ラブラブじゃね?)
そういえば、なんか、自分はあの頃ずいぶんあつい言葉を頂いてはいなかっただろうか。
大勢の前で弾くより、自分の前で弾いたほうがいいとか、
お互い男女だったら恋人にちょうどいいだとか、
冗談まじりに「ふふ、惚れてますからね」と言われたことも何度かあった。
微妙な、あいまいな微笑顔で。
なんでそんなに、ちょっと寂しそうに言うんだろうって思ってた。
(あ、あれ、ちょっと待って、もしかして、ほんとに……?)

でもよく考えてみろ。彼女は離れていってしまったではないか。
あれだけ一緒にいたのに、結局どうして離れていったのか…
(わかんない、最後まではだって、全然ふつうに電話で話してたのに… …あ、でもちょっと最後の反応だけテンションが落ちてたような)
ツナは最後にした電話を思い出していた。
大学の話とかしてて、別にいつもと普通だった。その後…
(……あ!)
そういえば、彼氏ができたと報告した。
そのときだ。様子がおかしかったのは。
そして、それ以降パタリと連絡がつかなくなって、
彼女が遠くに行ってしまったのだ。

ツナは思わず口元をおさえた。
(…ちょっと待ってよ、ほんとにそんなので?!)
考えすぎかもしれない。彼女のドイツ行きは、自分のことなど関係ないかもしれない。
…けれど、原因の一端になってないとも、言い切れないような気がした。
だって原因じゃなければ、きっと彼女のフォローが入るはずなのだ。
(…そうだったら、すげー…、ひどいことしてた…かも。そうだったらもしかしたら、見限られて…)
視線を落としかけたとき、画面にチェロが映ったので反射的に顔をあげた。
そしてその目が、大きく見開かれる。
「………!!」

画面には、顔立ちのととのった深みのある涼しげな目元の東洋人。
あの頃と同じ髪型の、
「むく  ろ さん……!!!?」
見間違えるはずがない。
彼女に間違いなかった。

(居た。
本当に居たんだ。)

長いこと探してばかりいるのに見つからないと、
もう骸さんなんて人はいないんじゃないかとさえ思ってきてしまっていたから。

既に画面にはコンダクターが映し出されている。
一瞬だったけれど、あれは彼女だった。

(――だめだ、)
もう彼女が自分を好きかそうでないかとか、関係ないと思った。
むしろ忘れられてるかもしれないけれど、
やっと、やっと見つけた以上は彼女に会いにいかなければと思った。行くしかないと思った。
(今までどんなに探しても骸さんは見つからなかった)
けれど今こうして見つかったということは、今会いにいくべきときなのだと言われているような気がした。神様とか、そんなのに。
ツナは立ち上がって、まずパスポート取得方法を調べることから始めた。
それから、あのロシアの交響楽団の活動場所について。
ドイツって言ってたのにどうしてロシアに、とか、
じゃあ今どこにいるんだろうとか、わからないことは色々あるけれど。
忙しくなる予感は、した。


<続>

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