ゆりむくつな

つぎ |

  貴女(3)  



どうせ届かない想いなら、甘い汁を吸えるうちに吸っておきたいと思うものだ。
想いが届きそうか届かなさそうか、どんなことよりも慎重にいつも探って探って、その結果に絶望するから届かせる気が失せるのであって。
仮に中途半端に届いたとしても、宙ぶらりんのままできっとお互い幸せになれない。同情や友情で恋愛関係など成立しない。…彼女の未来を曇らせたいわけでもない。



携帯を変えたのかと思っていたが、何ヶ月たっても彼女から連絡はこなかった。
忙しいのかとも思っていたが、とうとう我慢できなくなって、ツナは骸の実家を訪れた。
久しぶりに訪れる。大学に入ってからは、彼女の一人暮らし先に遊びにきてばかりだった。
けれど、最近はいつ行っても留守なのか、出てこない。
もしかしたら実家のお母さんなら何か知ってるかもと思い、やってきた。

「うわ…、なつかしー…」
思わず表情を綻ばせながら呼び鈴を押す。
高校の頃はよくこの家にも来ていた。
「はい」
落ち着いた彼女の母の声がインターホンごしに聞こえる。
「あっ、こんにちは、沢田です。骸さんって今帰ってきてますか?」
「えっ?!ツナちゃん?!今あのこ居ないわよ」
「あ、やっぱりですかー…、最近家に行ってみても居なくて」
だとしたら何処だろうか。まさか引越しでもした?
「?ツナちゃん??多分あの子しばらくは帰国しないと思うけど…って、もしかして、聞いてない?ちょっと待って、今出るわね」
「え…っ?」
きこ…、帰国?


「ドイツに…?!」
「留学で…って、やだ、もしかしてあの子本当に何も話してないのかしら、あんなにツナ君ツナ君言ってるのに」
「き 聞いてないですよ…、なんにも、 だって、前電話したときも一言も」
寝耳に水だった。
「ど、ドイツのどこに」
「それが、また住所変わるかもしれないからってまだ教えてもらってないの。電話するからいいでしょうって言われて」
「そんな……、」
もう何がショックなのかわからないぐらいショックだった。
(どうして。骸さん、どうして)
どうしていきなり電話がつながらなくなったのか。
どうしていきなりドイツになんか行っちゃったのか。
どうして何も教えてくれなかったのか。

ぽろ、と涙がこぼれた。
ぽっかり心に穴があいたような気がした。
「なんで、骸さん…」
喧嘩したことはあったけれど、こんなありえないぐらい音信不通になったことは無かった。
「つ、ツナちゃん…、ごめんなさいね、あの子…」
おろおろするお母さんに、ツナはふるふると首を振った。
彼女のことだから何か理由があったのだろう。
あれだけ才能のある彼女のことだから、そりゃあ留学したっておかしくない。
けれど、じゃあなんで一言も教えてくれなかったのだろう。
何か、彼女に嫌われるようなことをした?
自分は骸さんに見限られてしまったんだろうか。
どんなときでも自分を見捨てなかった彼女だったから、余計に、ショックだった。
そんなにいけないことをしてしまったんだろうか?
「だ…ったら、教えてくれたらいいのに、言ってくれたらいいのに、」
”どれだけ言いたくても言えなかった”理由は、ツナには知るよしも無かった。






レッスンを終えてフラットに戻ってきた骸は、ぼうっとしながらコーヒーを淹れていた。
こちらに来てから何ヶ月か。苦しい想いから逃れようとやってきたのに、一日たりとて彼女のことを忘れることができない。
近くにいるのに触れることができない苦しみと、遠くにいるから話すこともできない苦しみと、どちらが苦しいのだろうか。
当然のことながらツナからの電話も手紙も無い。教えていないのだから当たり前だ。
それどころか、こちらに来る事すらも言っていない。
怒っているだろうか。嫌われただろうか。もう自分のことなど忘れてしまっただろうか。
…忘れられることが、一番哀しいかもしれない。


耐えられなかった。ほかの男の気配のする彼女の近くにいるのが。
自分が何を言ってしまうか、してしまうか判らなくて。そこから壊れるものが怖くて。近くにいることができなかった。
今頃ツナはどうしているだろうか。例の彼氏とやらと一緒によろしくやってるんだろうか。
ツナと時間をすごすのも、彼女の身体を抱きしめるのも、触れるのも、キスも、恋人がするであろう何もかもを、今まで自分が全身全霊かけて我慢してきた全てを見ず知らずの男が当然のように持っていくというのか。
ただ、異性だというだけで。
ギリ、とカップの取っ手を握り締めた。
「っ…、出来ることなら消したいですね」
物騒な事を呟きながらベッドに腰掛ける。勿論相手の男をである。
こんなに離れていても怒りがふつふつとこみ上げるのだ。近くにいて話など聞いたら、ましてや会って紹介なんかされたら、どうなるかわからない。
彼女を悲しませたいわけじゃないが、傍にいたらきっとそういうことをしてしまう。
彼女まで手放したくない。から、
…離れた。
どうせ叶わない想いなら、伝えようが伝えまいが同じなのだ。
壊れるものがあるかないかの違いだ。


何だか自分が我慢の上にさらに我慢を上乗せしているようで、
どうして自分はこんなに頑張ってるんだろうと滑稽で、笑ってしまった。

好きなだけで、いいのに。
いろいろな事が叶わないと、幸せな心のまま「好き」でいることができない。
中途半端な心を、落ち着ける場所もわからないまま両手にかかえてうろうろしている自分がいた。


骸は電話をとった。
考えても仕方がないことは痛いほどよくわかっているので、考えるのをやめることにする。
長い電話番号のプッシュのあと、案内を通して電話をかける。
「――母さんですか。しばらく居れそうな場所が決まったんで、知らせますね。……え?ああ、まぁ、色々あって忙しくて。遅くなってすみません」
しばらく母親と他愛ない話をしていると、少しは気が紛れてきた。
しかしそんな気の紛れも、長くは続かなかった。
「そうなんですか。へぇ……。 ……え?」

「つ…ッ、ツナ君が家に来た?!」
『そうよ!まさか一言も言わずに行っちゃったなんて思わなかったわよもう…、ツナちゃん泣いてたんだから!』
「な…っ、」
泣いて。
骸は衝撃で言葉を失った。
自分が、泣かせた。
「ご、ごめんなさ…」
『お母さんに謝ってどうするの。ちゃんとツナちゃんに言いなさい』
もっともである。
けれど呆然としたように骸は言葉を発せずにいた。

それから後の会話はよく覚えていない。
電話を切ってから、脱力したように骸はその場に腰を落とした。
考えもしなかった。
自分のせいで、彼女が泣くだなんて。

ひどく動揺したまま思わず再び受話器を手にとって、電話番号を押そうとした。
けれど、指が止まる。
(―――なんて言えば)
離れた理由も話せないのに、ずっと連絡を取れなかった心情のかけらすら話せないのに、
なんて言って彼女に話せばいいのか。
どうやってその涙に謝ればいいのか。
息すら止まったようにその場にそのままの姿勢でいたけれど、
やがて骸は受話器を置いて両腕をおろした。
3を語るには、10話さなければいけなかった。
―――無理だった。





<続>
つぎ |

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