看護学生パラレル
食事介助演習(2)
「スープもほしいです」
「あっ、すみません」
グラタンとサラダをなくすのに一生懸命になっているあまり、コンソメスープを食べさせるのがおろそかになっていた。
わたわたしながらスープをスプーンですくって、骸の口元に持っていく。ちょっとの振動で零れそうである。
しかも、首を少し起こしているとはいえほぼ水平に寝ている相手にスプーンの液体を飲ませようというのだから、どうやったら零れないかむしろ教えてほしいぐらいだった。
(むずかし…っ、あんまり早く傾けるとむせちゃうかな、どのぐらいでどういう感じに飲ませるんだろ??)
「はい、どうぞ」
スプーンの当たる感覚に、骸がうすく唇を開ける。慎重にスプーンを傾けたが、スープは零れて骸の口の端をつたう。
「あ…っ、ごめんなさい…っ!」
やっぱりやっちゃった…!と焦って綱吉がティッシュを取る。
「いえ」
が、骸は短くそう告げると、緩慢な動作で口の端のスープを舌で舐めとった。
拭こうとした綱吉は、ティッシュ片手に一瞬動きを止めてしまった。
(ぅわ……、)
黒のアイマスクをしている端麗な面差しの骸が、唇を薄く開けて赤い舌で液体をゆっくり舐める様がやけに淫靡で、直視できなくて綱吉は思わず目を逸らした。
いつもは人をからかってばかりいるためこの人間の顔をまじまじ見る事はほとんどないが、こうやって見てみるとマスクで隠れていても顔のつくりが洗練されている。
だからか余計に、正気になって見てみると雰囲気がおかしいのが際立つ。
端的に言うと、なんか、えろい。なにこのえろいひと。
(な……、なんか、俺たちすごい変なことしてるんじゃないかな??)
一歩ひいて冷静に考えてみれば、同個室内でベッドに目隠しして寝てる人間に食べ物を食べさせる、って、なんか変な感じだ。
いつもは普通に学校で一緒に過ごしてるような、おそらく健康である同級生の友達(?)にしてるっていうのが、その変な感じを助長させる。
だが綱吉はふるふると小さく首を横に振った。
(だ…、ダメだダメだ正気になっちゃ。これは練習なんだから!別になんも変なこと無いんだから!ごめん骸さん!)
自分の考えを無理矢理肯定するかのようにウンウンと小さく頷いて、ティッシュを握りなおす。
「綱吉君?」
何のアクションも言葉もない綱吉を不審に思ったのか、骸の呼びかけが聞こえる。
「ごっ、ごめんね骸さん!今度はもうちょっと様子みながらスプーン傾けるよ」
ティッシュで骸の口元を拭きながら、アハハと綱吉は笑いを無理矢理ひりだした。
「結構お腹いっぱいになりますね」
気付けばもう30分経っていた。しかしようやっと半分食べ終えたくらいである。
「やっぱり時間がかかるんだね…むずかしいな」
使っているスプーンが小さいのだろうか?ため息をついて綱吉は食器を持った両手を下ろした。
少々無理のある体勢で、ひたすら与えられる食べ物を咀嚼して嚥下するほうも大変だとは思うが、介助するほうも、結構疲れるのである。
ごそ、と骸が片手をついて起き上がり、アイマスクをずらす。
「あ、やっぱもうやめとく骸さん?まだ半分残ってるけど…」
「そうですね…仰向けに寝てるのもあって、何か結構こたえますよ、これ」
ぱさりとアイマスクを外す。骸の言葉に綱吉は小さく頷いた。
「だよねぇ〜…、結構無理あるよねこの演習」
時間がかかるってことだけが判ったねぇとのんびり告げる綱吉をチラリと見て、フーと骸はため息をつく。
実際には、”しょうがないですね”なのだが、まるで”バカでしょうあなた”と言われてるみたいで綱吉はぐっと言葉を詰まらせた。
なんだよなんだよ。どうせ俺は骸さんみたいに建設的なことなんていえないよ。
今までの生育歴のせいか若干卑屈な考えをぶちぶち心の中で呟く。
「介助、ですけどね。今度の授業ではもう少し速いペースでも大丈夫ですよ。僕が口あけたら今度は普通に入れてもらって構いません。あと、一口の量はもう少し多くても大丈夫です」
逆に少なすぎるとむせますよ、と言うアドバイスに素直に綱吉は「はーい」と頷く。
こんなでも案外的確なアドバイスをよこすのである。茶々も多くて面倒だが、助言もくれる(単に口数が多いだけという説もある)。
「おそらくもう何回かしてたらテンポはつかめてくるでしょうけど…とりあえず君の方はこのくらいで…。まぁ、綱吉君から「はいアーン」って食べ物食べさせてもらうっていう楽しい経験もできましたしね」
ニッコニコと笑う骸に「ははは」と乾いた笑いを漏らした。最近こんな笑いばっかだ。はいアーンなんて言ってねぇよ。
「クフフ、じゃあ次は僕がやる番ですね…、さあ、さあさあ綱吉君、まな板の上の鯉みたいにそのベッドの上に寝転んでください!!」
いきなり目を爛々と輝かせて思いっきり生き生きしだした骸から、綱吉はちょっと身体を引く。
「わ…っ、こわいなこの人ー…」
「心の声が出てますよ、綱吉君」
「だってさぁー…」
あの言い回しを骸が言うと、食事介助だけなのにやけに身の危険を感じる。
お料理あっためなおしてきますねクフフー!と上機嫌で台所に向かった骸を目で追って、のろのろとベッドに潜ってアイマスクをつけた。
(ぅわ…、あったか…)
先ほどまで骸が入っていたためベッドが生あったかい。なんか微妙だなぁ、と思いながら綱吉は布団をひきあげた。
(にしても寝心地いいなこのベッド。俺んとこの畳にじかに布団とはえらい差だな。うらやましー。)
骸が戻ってきた音を聞いて、綱吉は入り口のほうに顔を向けた。
「今戻ってきましたからね〜」
いそいそとあっためたグラタンを片手に戻ってくる骸の気配がする。
「いいね骸さんこのベッド。すごい寝心地いいんだけど。寝そう」
先ほど思ったままの感想を口にすると、一瞬音が止まって、クフフッと笑い声が聞こえた。
「そうですか?別に毎晩泊まりにきて、僕と一緒にそこで寝てもいいんですよ。そんなに寝心地のいいベッドでもないと思ってましたけど、君が居たら気持ちよく眠れそうだ」
「いやいやいや。そんなつもりで言ったんじゃないですから」
また骸のきわどい冗談が飛び出した。まったく、この人こういうの好きだよなーと思いながら綱吉はあははと乾いた笑いを漏らした。本日二度目だ。
「じゃあ、はい、ツッ君、お昼ごはんの時間ですよ〜。そろそろお腹は減ったかな?」
「ぇえっ、何それどういう設定?!」
「たまたま付き添いのお母さんがいない小児科のあやうい男の子っていう設定ですよ」
「フツーでいいよフツーで!!!危ういのはお前だろ!」
必死に突っ込む綱吉に、軽く握った手を口元にあてつつ骸は笑った。
「クフフ、あー楽しみですね。今の君はまるで盲目の雛鳥だ。僕がいなきゃ生きていけないんですよね?」
「もうそういうのいいから!早く食べさせてよ!」
なおも言葉遊びを続けようとする骸に痺れを切らせてバンバンと布団を叩く綱吉に、いっそう骸は笑みを深めてスプーンを手にした。
「言われなくても」
(あ。グラタンおいしい)
口に運ばれたグラタンを咀嚼しながら、綱吉はほわっと表情をゆるめた。
「むくほはん」
「何ですか、次はサラダがいいですか?」
「ぐらたん おいひい」
もひもひグラタンを食べながら素直に感想を述べると、吐息だけでひそやかに笑う気配がした。
「そうですか、よかったです」
口の中がなくなったのでア、と口をあけて待っていると、まもなくして食べ物が運ばれてくる。
(たしかに これは)
「お茶ください」
「はい」
(雛っぽいかも)
ちうー、とお茶を飲みながら、一人しずかに納得した。
一方、骸は。
(…何でしょうねぇこの可愛い生き物は)
もひもひ食べ物を食べる綱吉を、動物でも見るかのようにひたすら見ながら介助していた。
何かもう食事だけといわず排泄から着替えからお風呂から何から何までしてやりたくなる衝動が湧き上がる。
(これ、このままウチに置いといちゃダメですかね)
若干物騒なことを考えながらスープを運ぶ。
「ッ、ごほっ、げほっ!」
すると、考え事をしながらだったためかうまくいかず、綱吉がいきなりむせはじめた。
「あっ、すみませ……」
ティッシュを手にとり拭おうとして、骸は綱吉を凝視して目を丸くした。
(おや)
「ン……、くるし…ッ」
はぁはぁ言いながらシーツを握り締めて、身体を捩ってなおもむせている姿が、
口の端からたれる唾液だかスープだかが、
おそらく涙目になっているであろう目を覆い隠すアイマスクが、
薄く朱を馳せたような頬が、
何か乱れた布団が、
(これは、なかなか)
ティッシュで綱吉の口の端を拭って背中をさすりながら、骸は何事か頷いていた。
「さっきはごめんなさいね綱吉君」
「い、いえ、俺もごめんなさい…」
まだ軽くけほっ、とか言ってる綱吉の頭を撫でてから、サラダの半熟タマゴを口に持っていく。
フォークに刺したそれを、綱吉の口に全部は含ませずに半分だけかじらせる。
すると、半熟の黄身がとろりと綱吉の口の端からたれた。
垂れるのを感じて、それが垂れる前に取ってしまおうと慌てて綱吉は舌で黄身をたどる。
骸は軽く目をみはった。
一生懸命舌を伸ばすもそれはうまくいかず、結局黄身は垂れていくし口の端は唾液で汚れるだけとなった。
「ご ごめんなさい…」
「いえ…」
その口の端をティッシュで綺麗に拭う。
しばらく黙っていてから、おもむろに骸はグラタンをスプーンにすくった。
「グラタンですよ、綱吉君」
あ、と口を開ける綱吉の口に、スプーンを傾ける。
あむあむ食べだす綱吉の口にスプーンを入れたまま、更にちょっとスプーンを奥までグッと入れてみる。
「んむぅ…っ!!」
びく、と喉を反らして綱吉がとっさにスプーンを持っている骸の腕を掴む。
反射的に息をあえぎ吸うように開いてしまった口から、ぼたりと白いグラタンが零れ落ちた。
間髪いれずに、瞬間的に口元を手でおさえて背をくの字に曲げる。
咽頭までスプーンが触れたために咽頭反射が起こって、一瞬嘔吐しそうになったためだ。
アイマスクの下で苦しさに目に涙をにじませながら、綱吉は肩で息をした。
「はぁ…っ、はぁ…っ、ふ、な、に、するんだよ…」
(あー…、やっぱりエロいですね 眺めが)
ぐだぐだ考えながら翻弄されていた綱吉とは対照的に、こちらは何のオブラートもなくいきなり核心を突いていた。
(さっきから何となく思ってましたけど、この子実は結構エロかったんですね。可愛いのは仮の姿ですか)
勝手にエロい人にされている綱吉はそんなこととは露知らず、恨みがましい目で(実際には隠れているが)骸の方を見る。
「ちょっと骸さん、なんで…」
「ああ、いえ。すみません。もうちょっとしてもいいですか?」
いつになく真剣な声で言われたそれに、え、と綱吉は言葉を詰まらせる。
(そ、そりゃ練習だしまだほとんど食べて無いから、続けたらいいけど…)
「う、うん…」
(すみません、って、それだけ?)
あきらかに意図的だったようなスプーンの動きに関する言い訳は?などと首をひねりながらも、しぶしぶ綱吉は頷いた。
”もうちょっとしてもいいですか”の本意は、”もうちょっと練習続けていいですか”ではなく”もうちょっとエロいとこ見させてもらっていいですか”というのだと気付くのは到底不可能だった。
「はい綱吉君、お茶ですよ」
あ、と綱吉は口をあけるが、一向にストローの先が口にあたらない。
疑問に思っていると、微かに口の端にストローがあたったのでそれを咥えようと口を開けて舌を伸ばす。
すると、ストローが離れていった。
(え?え??)
更に疑問に思いながら舌を伸ばしてストローに触れようとするも、そこにストローは無い。
綱吉は、骸がこれ以上にないほど楽しそうな顔をしてストローをわざとちょっと遠い位置に離したり近づけたりして遊んでいることを知らない。
「ちょっと骸さん?」
お茶がやってこないんですけど、と抗議した綱吉に、思わず笑いを零してようやくお茶を与えた。
「クハ…っ、すみません」
ストローを咥えようと口をあけて舌を伸ばす様が、本人気付いていない割にずいぶん扇情的で、ちょっとあまりにも、楽しいもので。
綱吉は、骸がそんな歪んだ楽しさに浸っているとは知らず一生懸命食べ物を食べる。
(これは思わぬ楽しい遊びになりましたねぇ)
ニヤニヤ笑いながら頬杖をついて、プチトマトを手ずから口へ持っていく。介助態度は最悪である。これでは患者の食事介助をする看護師ではなく、ペットに餌を与える主人である。
わざと特に何も告げず、口にあてる。すると中途半端にかじったためか、それはぷつっと音をたてて中味を飛び散らせる。
「ふわ…っ!」
「クフ…っ、はは…っ!」
嬉しそうに笑いながら骸は綱吉の唇にとんだトマトの中味を親指でぬぐう。
「ちょ…っ、骸さん…!お前さっきからいじめに変わってない?!」
「食事介助って楽しいですねぇ綱吉君。君限定でですけど」
「要するにいじめだよね?!」
「ほらほら、喉も渇いたでしょう?」
ストローのついたフタを取って、残り少なくなった紅茶の入ったコップをじかに綱吉の口に押し当てる。
そのまま傾けると、思わず口を閉じた綱吉の顎をつたって首筋に紅茶が零れた。
「んぐ…っ!」
零れて唇にかかった紅茶に、顔を近づける。
綱吉の両脇に手を置いて、べろりと綱吉の唇についている紅茶を舐め取った。
「んゥ?!」
緊張したように身体をおもいっきりこわばらせる綱吉に、骸はひそやかに口角を上げた。
(これ すごい楽しいかもしれない)
目を細めてひとり楽しい骸に思いっきり置いてけぼりにされて、綱吉はただひたすらビックリしている。
「え……っ?! な…、っ、いまなにしたの?!」
まさかそういう食材じゃないよね?!
だってあきらかに顔くっついてたもん!!!なんか動いてたもん!!!
「ああ…、」
ぺろりと舌を出して、「たべてもいいですけどね」と上機嫌な声音で飄々とのたまった。
「何かちょっと僕わかっちゃいました」
クフフ、と照れたように言う声をきいて、とっくにアイマスクをひっぺがしてベッドから降りた綱吉は剣呑な目で骸を見た。
「何ですか今度は…」
「君をいじめるのが楽しい理由が」
「自覚あったんだやっぱり!いじめてるって自覚はあったんだ!!」
ベッドのタオルを片付けようと伸ばした手をそのままに、すごい速さで綱吉は骸に顔をむける。
それにはおかまいなしに、骸は嬉しそうに続ける。
「君、苛められるのに向いてるんですよ」
「勝手な事いうなよ!お前が勝手にいじめてるだけだろー!」
泣きそうになりながら叫ぶ綱吉の方に、骸は意味深に顔を向けた。
「そう。僕に苛められるのに、向いてるんですよ。ねぇ綱吉君。いじめるだとかいじめられるだとかって、それによって快感を得るからやっちゃうんですよね。結構そういうのって淫靡だと思いません?」
「誰か通訳呼んできてー!」
「訳したって意味は変わりませんよ、クフフ」
「ねぇ綱吉君。あれ楽しかったんですけど、もう一回やっていいですか」
ザー。少しの量だが食器を洗う。
綱吉は骸の洗った食器を拭きながら(乾燥機もあるのだが)、苦々しい視線を骸に向けた。
「…もういいよ、骸さんとの食事介助なんて本番だけで十分だから」
「いえいえ。ソレではなく」
「?じゃあ何…」
「これです。これこれ」
疑問に思って不意に骸に顔を向けた瞬間、洗剤とかお湯とかで濡れた手でびちゃっと頬に手をあてられて、べろりと唇を再び舐められた。
一回だけでは済まず、何度も往復するように唇を舐められる。
「ゥぎゃーー!!!なにすんだ!!!」
泡だらけになった頬とか唾液まみれになった唇とかをごっしごっし手の甲で拭って、綱吉は盛大に叫んだ。
骸はなおも綱吉の唇に向かって舌を突き出しながら、まっすぐ綱吉を見る。
「いいから口開けてくださいよ」
「開けたら何するつもりだよお前!」
口をおさえる綱吉に、機嫌悪そうに眉をひそめて骸はハッとため息を吐いた。
「ったくもう、綱吉君はノリが悪いですね。いいじゃないですかベロチューの一つや二つ」
「ノリでそんなことしないよ!!何、何で俺そんなバカにされてるっぽいの?!」
あくまで拒む綱吉に、ばっしゃーと泡にまみれたお湯がかけられた。
「…っ?!……っ?!」
ぽたり、ぽたり、ぽたりとお湯が床に滴り落ちる。てろーー、と泡が服をつたう。
いきなり起こされた惨劇に言葉も思考もなくしていると、それをかけた当の本人がフッと笑った。
「あーあ、それじゃあ今日ウチに泊まってくしかないですね。着替えとかはありますから、まぁ安心してくださいよ」
あーあ綱吉君がつまらないところで出し惜しみなんかするから、とのたまいながら食器を洗い続ける骸に、綱吉はおもいっきり地団駄を踏んだ。
「俺のせいじゃないだろそれーー!!!」
「クフフ。そうとも言いますね」
終