ゆりむくつな

  貴女(6)  




「…お前、居なさすぎだよ…!!」
とうとう決壊した涙をぽろっとこぼしたツナに、
「…どういう日本語ですか、それ…」
力ない笑みとともに、そんな言葉しかかけられなかった。


ああ、朝の光がとても眩しい。




骸は目を細めて路地の外を見た。
そこに立って息を切らせた、かの人を。

ツナがずんずんと、骸のひそりと立っている路地裏へと足を踏み入れてくる。
「何にも云わずに消えるとか、ほんと、ありえないだろ…!探したんだからな…!!」
「それを云うならこっちもですよ、どうしていきなりあんなところで働いてるんですか君」
怒りながらどんどん近づいてくるツナに、笑いながら骸は返す。
近づかれるのが怖い。
頼むからもう、気持ちを上げるだけ上げさせておいて絶望させないで。
そんなに本気で向かわれたら、冗談でかわせなくなる。


無意識に身体をひかせようとする骸まで一気に距離をつめて、地を蹴った。
ばふんと骸の胸元に頭を押し付け、ぎゅうと抱きしめる。
「…ひどいよ、いきなりずっと居なくなるなんて」
…肩が、震えている。

「…泣かせて、ごめんなさい」
あのときも云えなかった。やっと言えた。ごめんなさい、の一言が。
かすかに骸はツナの肩に腕を添えた。首元の頭に自らの頭をのせて、擦りつける。目をとじる。
頭を擦りつけると、それに応えるかのようにしてツナが更に頭をすり寄せてきた。
ああ、
ひとりじゃないって、
こういうこと。

たったこれだけの事なのに、
泣きそうなほどに、心地よかった。


「…違うんだ、謝るのは骸さんじゃない、ごめんなさい」
もそりと聞こえてきた言葉に、骸はどきりとした。
どういうことだろう。
この子は、どこまで判ってるんだろう。
「あの電話のせいだよね。…何となく、もう、判ってるんだ」
「…っ、」
確信した。もう気付かれている。

「…育ちましたね。僕は変わることができなかった」

もう、嫌われるとかそうでないとか、どうでもいいような気がした。
彼女がここまで会いに来てくれたのだ。
何を話しても、もういいような気がした。
いいかげん、この苦しさから解放されてもいいような気がした。
それならば。

「…悔しいですね。出来ることならそういうことに目覚めさせる役には、僕がなりたかった」
「うん…、」
「耐えられなかったんです僕は。自分以外の人間と付き合って幸せそうにしてる君を見るのが。自分の無力と絶望をあまりにも痛感して」
「うん…、ごめんね、苦しかったよね」
きらきら涙を零すツナを見て、骸は目を閉じた。
きゅ、と背に回した腕に力をこめられて、彼女の肩に頭をおとした。
「うん………、くるしかった…」
嗚咽が漏れた。
本当に。
僕は。
君が。

本当に。
くるしくて。


ひとたび口を開けば、
後から後から言葉が出てきた。
大事に大事に封をしていた言葉たち。
抱きしめられているから、
抱きしめているから、
顔が見えないから、
…もう知られて、いるから。
聴いて、くれるから。


「どうして”友達”か”恋人”のくくりしか無いんでしょうね。それではまるで、”恋人”でなければ”友達”であらねばならないみたいだ」
「…うん」
「”恋人”のくくりから外そうとしているのは周りなのにね、とても理不尽だ」
「うん…、」
「ツナ君。僕は」
「……」
「僕はずっと、こうしたくて」
ぎゅ、と力をこめる
目を閉じてツナも抱きしめかえす。
ツナは、自分が抱きしめられているのに、小さな子を自分が抱きしめているみたいだった。
でもそれと違うのは、不思議な高揚感が伴うこと。
「僕は。本当に我慢してたんですよ。言いたくても伝えられない事が沢山あった。でも一番近くにいられればそれでもよかった。でも本当は、」
ほんとうは、
―ものすごくつらかった。
急に言葉を詰まらせてツナの首に顔をうずめる骸の髪を、ツナはふわりと撫でた。
ごめんね骸さん。いっぱい辛い想いさせた。こんなに思いつめるほどに。
本当に馬鹿だった。ごめんね。
「大丈夫だよ…骸さん。大丈夫だから」
それを怖がることはないからと。もう言葉を呑み込まなくてもいいからと。
今、すべての彼女をやっと理解できたような気がしたツナは、胸のつきものが落ちたようにすっきりとしていた。
心のなかが澄んで綺麗になっていくのが判る。
今なら、なんでも受け入れて心の水に融かしてしまえるような気がした。
「…いいんですか、本当に、言っても」
ひとりぼっちで行き場を失くした子供のような顔をした骸に、ツナは泣きそうになった。
当たり前のことも些細なことも、自分が、ものすごく我慢をさせてきてしまった。
「…もちろんだよ」
大好きだったのに。
そんな辛い想いをさせるつもりなんて、なかったんだ。



「僕、本当は、君のことが。ずっと」
視線をやわらかく合わせてこくりと頷く。
「ずっと…、」
骸が何度か息をつく。
何年もいえなかった言葉。
云ったら最後だと何度も思ったために、恐れと緊張からくる馴染みのある鼓動が反射的に邪魔をするようになっていた。
大丈夫だと判っていても、いやなふうに心臓がどくんどくんいう。
何度か息をついたあと、視線をあわせたまま言うのが難しかったのか、骸は再び「いいですか」と了承をとってツナの首に腕を回した。
顔が見えなくなってから、堰を切ったように骸から言葉があふれた。
いたいほどに、抱きしめられた。
どんなに痛くても、離れてはいけないと思った。

「…好きだった。いとおしくて仕方なかった。こうやって抱きしめたかった。もっと近くに居たかった。気付いてほしくなかったけれど、気付いてほしかった」
「普通の恋人同士がするような、ことだって」
次々浴びせられる声が、言葉が、熱を帯びる。
頬の横、首、視線のあわないところに次々と骸が口づけを落としていく。
はぁ、と、興奮に濡れたような骸の吐息がおとがいを掠めて、ツナは小さく身震いした。
(やばい 骸さんすごい色っぽい)
彼女の本気がむきだしになってすぐ傍にある。
今まで全身全霊をかけてかたく閉ざされていた、秘められていたとんでもない本気が、すべての重みをかけてツナに向けられているのを感じた。
(これが 骸さんが、 ずっと我慢していた想い 骸さんの本気で、何も隠していない素の骸さん)
昔から彼女は秘密主義なところがあるのか、捉えきれないところが多かった。
でもそれは秘密主義というのではなくて。
手をすり抜けていくような手応えのなさは、彼女が必死で隠していたものの現れだったのだ。
1を見せてしまえば10までバレてしまうかもしれない。尻尾はつかまれてはいけない。

「好き。好きなんですツナ君。欲しい。君を頂戴。僕も全部君にあげますから」


胸が、きゅう、とした。
このひとは、こんなに真剣に。

もっとはやく言えばよかったのに、なんて、言えなかった。
なぜならツナ自身、早い段階で言われても今みたいに応えることができなかったかも、と思うからだ。
色々あった流れの先に、今、こうして告げられることが大事なのだと感じていた。

しかし、骸の動きがぴたりと止まる。
「…?」
不思議に思い骸を見ると、ひどく不安げな表情の彼女がいた。
「――ち、ちが。そう、思って、たんです、昔」
拒否されるのを、否定されるのを、ひどく怖がってその前に予防線を張ろうとしている彼女が居た。
言い過ぎた。しまった、と顔に書いてある。
ツナは骸の両頬に手を添えた。
顔を背けないで、という意味をこめて。
「じゃあ、もう骸さんはこんな奴どうでもよくなっちゃった?」
本当は、嫌われても仕方ない仕打ちをいままでたくさんしてきた筈なのだ。
嫌わないと、興味を失わないと、辛すぎる。
静かに聞いた。
「まさか!!嫌うどころか…!」
焦った骸に、へへ、とツナは小さく笑った。
「よかった。それだけが怖かったんだ。せっかく、好きだって気付いたのに」
「ツナく…、」
「前の人とはね、随分前に別れたんだよ」
「………っ、」
複雑な表情で言葉を言いよどむ骸に、ツナは続ける。
「…遅くなって、ごめんね。こんな子でも、いいですか」
はにかむように控えめに告げられた言葉。
そっと手をとって握るツナの、甘茶の頭をかき抱いた。
「――君だけが、よかったんです」

もう、何年も、ずっと。








『いい日本人は紹介してもらったのか?』
『いいえ、やっと片思いの人と恋人同士になれたんですよ』
『そうなのか!いやーアンタを狙ってた客は結構いたんだけどねぇ、でもよかったよ』
『ええ…、本当に』
いつものコーヒーを両手におさめながら、骸は口元をゆるめた。
『にしてもあの日本人すぐ辞めちゃったんだもんなぁ、可愛かったのに残念だ。友達だったんだろ?』
『ふふ、とてつもなく大事なひとですよ。また来る、って、メールで言ってました。お金貯めたらこっちに住むんですって』
『へぇ!じゃまたここに来てもらわないとな』
勿論です。けどあげませんよ、と心の中で呟いて、にこ、と笑う。
カラになったカップを置いて立ち上がった。
背負ったチェロケースのファスナーに、かつての蓮の花のストラップがちらついて薄桃色の光を反射した。
『あれ、可愛いのつけてるね』
『いいでしょう、ずっと昔の貰い物なんです』
いとおしげにストラップを撫でる骸を、なるほどと頷きながらオーナーは眺める。
『今日はもう帰るのかい?』
『ええ、今日は彼女から電話がかかってくる日なので』
晴れ晴れとした笑顔で席をあとにする骸を、目を瞬かせながらオーナーは見送った。
『…あんな顔でも笑えるんじゃないか』




まだ、季節はまわりはじめたばかりだった。




<終>





HYのnaoがひそかなテーマ曲です
かつて大号泣した曲でした

百合をそこそこ読みますが、エロメインでない(「明らかに男性向」でない)内容のものはたいてい哀しい結末に終わる傾向にあります。
それはきっと、いろんな要因が絡んでいるのだと思いますが、えてして結構現実的なためです。
それはそれで惹きつけられますけど、少しくらい幸せな結末のある、けれど少々現実的な百合があってもいいんじゃないかと思って書きました。
本当は「哀しい結末」の百合もすごく書きたいけれど、本気でそれを書くととても救いが無いので、そういった骸さんと綱吉はちょっと見たくなくて、書けませんでした。
判りやすいハッピーエンドでなくてもいいけれど、やっぱり救いは欲しいなと。思ったりするのです。


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