命日は、2008年3月18日。
私の受け持ちで、
約4ヶ月間ICUにいたA君は、その日の私の準夜勤が始まる時間帯に、永眠していた。
前日の晩に偶然見てしまった電子カルテ。
「Aくん、死ぬかも」
泣きながらMちゃんに言った翌日、それは本当になってしまった。
「昇圧剤を限界まで上げても、上の血圧が60とかなんだって…、
発熱が40度あって、敗血症の状態だって…、
K先生の記録に、”電気ショックは行わない”とか、”心臓マッサージは行わない”とか、…
I(看護師)さんの記録でも、”ご遺体の搬送について…”とかあって…、」
お母さんの気持ちとか、もっと読んでて辛い記録がたくさんあったのに、
Mちゃんに話せたのはそれだけだった。
お見送りのときも、涙はどうしても止められなかった。
準夜の前に、生きてるうちに会いに行こうと思ったのに結局いけなくて、そのまま彼は逝ってしまった。
もう彼のカルテは残ってないだろうか。
名前を検索しても出てこないだろうと思ったら、
「外来」の扱いで死亡した彼のカルテが出てきた。
「死亡退院」。
彼に使用した薬剤のコストとかを取らなきゃいけないから、まだカルテが残ってたのか。
ボスミンとかモダシンとかの薬剤コスト記録を流して、
私は記録を探した。
何か。
何か彼の記録は、私が見た記録以降残っていないか。
そうしたら、ひとつだけあった。
Dr.のプログレスノート。
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プログレスノート 医師:○○ ○
16:45 BP低下、HR低下
16:55 arrest
16:57 永眠される
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これより以前にも以降にも、新しい記録は無かった。
これまで、あんなに長い経過の記録があったのに。
あんなに詳細な看護記録が残っていたのに。
死ぬときの記録は、三行だった。
このカルテもいつかは消えて、アクセスできなくなるんだろう。
病棟の、「ICU/CCU入室患者」という黄色のファイルを見た。
A君の記録がいつまでも入っていたそのファイルに、既に彼の看護記録は無かった。
手続き上必要だから、誰かが処理したんだろう。
手続き上必要でない、彼のネームプレートと、「受け持ち表」に記載されている彼の名前は残っていた。
私はそれを消しながら、どうにも、やりきれない脱力感に埋もれたような気持ちだった。
私が消さなければ、これは、誰も消しはしないのだ。
病棟医やほかのDr.も、「A君は(うちの病棟)に帰れる」と確信を持って前は言っていた。
ただ経過が慢性化してるだけだったうちは、そうだった。
私は前々から、ICUやCCUに入る人で、死んでしまう人は、短い間に亡くなってしまうから、
A君は大丈夫だと思っていた。
けど、悪くなれば一気に悪くなる。
人はなかなか死なないけど、死ぬときは一気に階段から転がり落ちるようにして、亡くなってしまう。
それは、2,3日で一気に状態が悪化したA君も例外ではなかった。
今、病棟は、もうすぐの病棟移転に向けて連日慌しい。
まるで一人の死など無かったかのようにただ日々は過ぎていくし、
あまりその人に思い入れの無い人の前で、私が落ち込んでいても正直鬱陶しいだけだろうと思う。
毎日普通に仕事も生活もあるし、無かったように振舞わなければ日々を回せない。
私は笑わなければいけないし、答えなければならない。
「大丈夫?」と問われれば、「大丈夫です」と言うしかない。
そんな事など何も知らないPt.さんの前に、立たなければならない。
その事にとらわれると、色んなものが私の中で止まって、何もできなくなってしまう。
けど、激しい哀しみの後のもやもやした気持ちはずっと続いている。
行く前に、ずっと彼の面会に行ってて、私もよく話をしていた彼のお母さんと住所の交換をした。
お互いに手紙を書こうと約束して、お母さんはA君とともに山梨に帰っていった。
何を書けばいいのか具体的にはわからないけど、
私が思ったことや伝えたいことを、素直にお母さんに伝えようと思う。
今日も深夜勤だ。
がんばろう。
と、思うしかない。